2015-03-10 第189回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号
また、その裏面の方には、これは平成四年の十一月ですけれども、韓国の盧泰愚大統領と宮沢首相が、同じくつる家で昼食をとりながら首脳会談を行ったという記事であります。 そこで、お聞きをしたいんですけれども、料亭というのは現在は風営法の規制のもとに置かれておりますけれども、ということは、これは法律上は大統領を風俗営業に連れていったということになるんでしょうか。警察庁の方からお答えいただきたいと思います。
また、その裏面の方には、これは平成四年の十一月ですけれども、韓国の盧泰愚大統領と宮沢首相が、同じくつる家で昼食をとりながら首脳会談を行ったという記事であります。 そこで、お聞きをしたいんですけれども、料亭というのは現在は風営法の規制のもとに置かれておりますけれども、ということは、これは法律上は大統領を風俗営業に連れていったということになるんでしょうか。警察庁の方からお答えいただきたいと思います。
○西田委員 これまでも、特に大きな見直しというのは、九一年、日韓の覚書を根拠としてなされているというふうに理解をしておるんですけれども、たしか当時、海部総理のときでございますね、海部総理、そして盧泰愚大統領との間で首脳会談がなされ、そして、当時、我が国は中山外務大臣であったかと思いますが、先方と交わされた日韓の協定、協定に対する覚書、こういったものを論拠として今日の特別永住制度があるというような理解
ちょっとお話ばかりで申しわけないんですが、この朝日新聞の、彼らが言う誤報、私に言わせれば偏向報道であり捏造記事というのはどういうことをもたらしたかということを、九三年三月の文芸春秋で、盧泰愚大統領の対談記事を出しています。そこの記事を読みます。
一九九〇年に訪日した盧泰愚大統領が、この日本の国会で演説した際、来る世紀には、東京を出発した日本の青年が海底トンネルを通過して、ソウルの親友と一緒に北京とモスクワに、パリとロンドンに、大陸を結び世界を一つにつなぐ友情旅行を楽しむ時代をともに創造しましょうと述べました。
これに対して韓国内ではいろいろな反発があったようでありますが、その翌年、盧泰愚大統領になってからですが、宮沢総理と盧泰愚大統領の首脳会談がソウルで行われまして、これからは過去の問題にこだわらずに未来志向で両国関係を発展させましょうという趣旨でこの会談が持たれたわけですが、実は、その会談の場に従軍慰安婦と称する人たちが押しかけまして、会談が静かな雰囲気でできる状況でなくなってしまったわけです。
外務大臣にお伺いしますけれども、先般、韓国で盧泰愚大統領弾劾が採決される。失礼、盧武鉉。失礼しました。元へ。盧武鉉大統領の弾劾が採決、国会でされると。それで、四月中旬に総選挙が行われますけれども、この韓国の新しい状況が次回の六者協議への展望をますます開けないようなものにしているんではないかと、果たして六月までに作業部会ちゃんと開けるのかどうなのか。
それだけではなくて、辛光洙が韓国で捕らえられたときに、当時の盧泰愚大統領に釈放の要望書を我が国から送ったわけでございますが、それには土井委員長も、また御党の大幹部も名前を連ねていたわけでございまして、そういう時代であったということも、また一方事実であるわけでございます。
○伍藤政府参考人 御指摘の四十億円の被爆者拠出金につきましては、これは一九九〇年に当時の海部総理から盧泰愚大統領に対しまして、両国の将来に向けての友好と協力の象徴として提案をされました。いわゆるODA、経済協力の一環として実施をされたものであるというふうに承知をしております。
あわせまして、この四十億の話でございますが、これは日本が出したことには間違いないわけで、盧泰愚大統領が日本におみえになりまして、その当時の海部総理のときにその話がまとまって、ODAの中からそれがなされたということでございまして、日本から出たことは事実でございますけれども、いわゆる在外被爆者の問題ということにして、そして、いわゆる厚生労働省の一つの施策としてそれがなされたというほど明確ではないと私は思
ただいまお話がございました四十億円のいわゆる在韓被爆者への拠出金でございますけれども、先ほど大臣の方からも答弁がございましたとおり、一九九〇年に海部総理から盧泰愚大統領に対して、いわば友好と協力の象徴ということで、経済協力の一環、先ほど来お話が出ておりますとおり、形式的にはODAカウントということで実施をされてきたということがございます。
そして、その際は宮澤総理から当時の盧泰愚大統領に親書を出すなどして善処を申し入れまして、そのときには、結局、三国間で協議した結果、日本がロシアから割り当てを得ていたほかの水域の漁獲割り当てを韓国側に譲ることで問題を収拾したわけであります。
次に、これは「通販生活」という本に、二〇〇〇年秋の特大号に小田先生が「「阪神大震災」と「マス・メディア」」という論文を書いておられたのを私、拝読いたしまして、もしおいでになったら聞いてみたいなと思っていたことなんですが、その中で、当時の盧泰愚大統領の訪日に触れておられて、「彼がたずさえもって来た在日韓国人の生活に直接かかわる懸案は何ひとつ解決されてはいなかった。」
ついででございますが、この辛光洙事件につきましては、皮肉なことでございますが、盧泰愚大統領が来日をされたときに有志の議員が韓国人政治犯の釈放に関する要望というのを出したわけでありまして、二十九人の政治犯、この人たちはイノセントであるから返してもらいたいという要求を出されたんですね。この二十九人の中に何と辛光洙が入っているんですね。
盧泰愚大統領に会ったときにそういうことを言ったら、盧泰愚大統領は否定しなかった、だけれども時期尚早だ、こう言った。その会談の後、相手方の人が追っかけてきて、今のことは表へ出さないでくれとわざわざ言った。そういう時期を見れば、感無量、随分進んだな、こういうふうに私自身思っているわけであります。
盧泰愚大統領が来日をされてから、そろそろ丸八年だと私は記憶しておりますが、要するに、未来志向の日韓関係というのが当時から言われておりまして、今も言葉としては生きておるわけでございます。なかなか未来志向になってこない、現実には未来志向の関係構築が非常に難しいというのをやはり痛感するわけでございます。
皮肉なことに、この辛光洙につきましては、一九八九年七月十四日に、盧泰愚大統領に対して、在日韓国人政治犯の釈放に関する要望というのを出したのですね。
一つ、「盧泰愚大統領演説文集第三巻」、これは大統領秘書室の発売したものでございます。つまり、韓国の国家が公文書として発行しているものでございます。ここに、我が日本国天皇のことを日王と書いてある。日本の日に王、天皇陛下と盧泰愚大統領が歩いておられるときの説明は、日王と歩いておる。ここに、天皇陛下が晩さん会であいさつをされたときに、日王のあいさつと書いてある。
また、一九九二年の自由民主党の宮澤元首相の発言も、ちょうどあの一九九二年の韓国の盧泰愚大統領との会見の中で、やはり時代認識の中で、この戦争というものに対する反省の中で、やはり新しいアジアを構築をしなければいけないという非常に良識的な発言がございました。
私は実は、総理がたしか大蔵大臣のときだったでしょうか、盧泰愚大統領の演説を聞かれて対馬に急に入られたというお話を聞いたことがございます。対馬だけではなくて、日本の漁村の現状を見ると、もう過疎化もいいところであります。
盧泰愚大統領が、この前、国会に来られまして、未来に向けてということで、日本の新幹線、海底トンネルを通って、半島を通って、大陸を通って、若い青年たちが肩を組んで、世界に親善旅行をする、こういう夢を描こうじゃないかということを訴えられました。私たちも、そういった未来に向けてのビジョンというものを確立したいものだと思っております。
これは、金泳三大統領の前の盧泰愚大統領のときに北との間で南北不可侵宣言というのができまして、これは実は大変画期的な内容で、半島の非核化を徹底的に行うことが可能となる文書でございます。